ハルオ

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一昨日恩師と話していた時に、うつを抜けるということはどういうことなのか尋ねられた。確かに、うつを経験したことのない方からしたらうつになる・うつを抜けるということは想像もつかないことだよなあと思ったので、整理の意味も込めてうつについてメモしておく。

 

まず前提として、わたしは双極性障害Ⅱ型を患っている。19歳の時に病気が発覚したので、もうかれこれ6年くらいの付き合いになる。病気について簡単に説明すると、躁状態抑うつ状態の行ったり来たりを繰り返す病気で、わたしの場合はⅡ型なので躁状態よりも抑うつ状態の方が出現頻度が高い傾向にある。また、躁状態になったとしても完全な躁状態になるのではなく、軽躁状態になる程度である。もちろん常に躁状態抑うつ状態のどちらかに振れているわけではなく、どちらでもない無症状の状態というのもある。躁状態でも抑うつ状態でもない無症状の状態を生涯的に続けられるように、自分自身をコントロールして安定させていくことがこの病気の治療の目標となる。

 

「うつになる」ということは、簡単に言えば今までできていたことができなくなっていくことだと経験的に捉えている。

できなくなっていくことは、日常的にささいなことから始まる。わたしの場合は睡眠障害から抑うつ状態が始まる事が多い。夜なかなか眠ることができない、朝なかなか起きられない。日中眠たくてたまらず、首肩のコリがひどくなり、全身がこわばってしまうので、体がものすごく重たくてしんどい。動きがのろくなる。体の動きがのろくなるように、思考のスピードものろくなる。わたしはよくその時の体のしんどさを「小学生をひとりおぶさっているようだ」と感じる。要するに、なんだか一日中体が重たくて心もどんよりしてしまい、一日をスムーズにかつ快適に過ごすことができなくなっていく。

さらにその状態が続くと、集中力が散漫になり、ものすごく集中しないと文字を読むのも一苦労になってしまうほどである。と同時に、「気になること」が多くなってくる。

家の鍵はきちんと閉めて出てきただろうか、財布は持ってきただろうか、リュックのファスナーはあいていないだろうか、他人から見てわたしはきちんとしていないのではないか、今電車でとなりに座っている人はどんなことを考えているんだろうか、苦しくはないだろうか、いまわたしがいることで彼らは苦しくないだろうか。さまざまな「気になること」が一日中休むことなく頭の中を駆け巡り、わたしを不安にさせる。自信を喪失させる。自分のことが信頼できなくなっていく。

その時のわたしはものすごくデリケートである。電車の中で人と腕がぶつかってしまい、睨まれようものなら、いや、睨まれなくとも、その場にいられなくなる。また、そのようなことが目の前で起こった時も、なぜかその事象のマイナスな部分をわたしは勝手に背負ってしまい、苦しくなる。

それが恐ろしいので、電車に乗りたくなくなってくる。常にビクビクしている。電車の中にはそれぞれの自我を持った人間がたくさんいて、それぞれがそれぞれのペースで電車に乗っている時間を過ごしている。それが恐ろしくなってくる。そして、電車に乗れなくなってしまう。電車の中に限ったことではない。人間がたくさんいる。それぞれがそれぞれの自我を持っていて、それぞれのペースで過ごしている。それぞれが見えないものがあり、見たいものだけを見て、過ごしている。それによってどこかで苦しさが生まれている。

本来なら苦しさが生まれているように幸せも生まれているのであるし、人間が見たいものだけを見て過ごすことについてはなんの問題もないことだ。というか、それらの事象とわたしは全く無関係であり、無関係であることでなにも問題ないのだが、その時のわたしはマイナスな面ばかり気になって勝手に背負ってしまうために、勝手にすべてのことが恐ろしくなってしまうのである。

その時によく思うのは「それぞれの自我を持った人間が何億人といることが本当に本当に恐ろしく気持ちが悪い!」。おそらく、自分が健やかに快適にスムーズに過ごせていないことで、そうでない人たちのことがうらやましいのだろう。とにもかくにも、抑うつ状態になっている時は自信がなく、自分のことが信頼できず、「気になること」が多すぎて、一日をスムーズにかつ快適に過ごすことができないのである。

ここまで双極性障害抑うつ状態について述べたのだが、これはかなりわたしの個人的な経験に基づいたものであり、人によって抑うつ状態の症状や生きている世界は異なるので、これが一般的な抑うつ状態の症状だとは言い切れないということは補足しておく。

 

これらをもってして、「うつを抜ける」ということは、できなくなっていたことができるようになっていくことであるとわたしは捉えている。

もちろん今までできなかったことが突然すべて一気にできるようになるわけではなく、薄皮をはがすように、ゆっくりと時間をかけてひとつずつできることが増えていく、できることを取り戻していく、というのが感覚的に近い。

たくさんの「気になること」を「気にしないでもいいこと」にすることができるようになり、自分に自信を取り戻して、自分を信頼できるようになる。もっと言えば、自分を大切にできるようになる。無関係でいていいものに対して無関係でいられるようになるし、それぞれが見えないものがあり、見たいものだけを見て過ごしていることを許せるし、わたしもそう過ごせるようになる。そして、無症状の時のように、一日を快適にスムーズに過ごすことができるようになっていくのである。

 

以上、うつについてのメモでした。

途中から疲れてしまったのでいろいろ省いたのだけれど、もし今度気力があれば「うつになる」から「うつを抜ける」の時にどういうことをするようにしているか整理できたらいいな。