ハルオ

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2/11

 夢見が良かったので7時15分と7時30分のアラームをスルーしたが、自律神経のために7時45分ころにはすぐ横の夫を起こさないように起き上がった(自律神経を整えるために毎日同じ時間に寝て起きるようにしている)。トイレに行って、リビングで水を飲んでから、ベランダでたばこを吸う。8時。気圧のアプリをチェックすると「上昇傾向」のアイコン。通りでなかなかスッキリ起きられなかったわけだ、とぼんやりした頭のまま一人で納得する。10時頃に夫が起き出す前に、月曜日に送る予定の長めの仕事のメール文面を確定させておきたい、というのは前の晩から考えていたので、すぐにリビングの食卓でノートパソコンを立ち上げる。作業は案外30分もかからずに終えられた。お腹が空いてきたので、ブリックタイプのプロテインを冷蔵庫から取り出し、ゆっくり飲む。しばし休憩。やっと目が覚めてきた感覚。ベランダでたばこを吸う。

 食卓で、iPad凛として時雨のボーカルのTKのインタビュー動画を2本、小さい音量で観ているうちに、寝室の夫が目を覚ましたようなので声をかけにいく。2人でTKの話をしているうちに凛として時雨が聴きたくなり、食卓のiPadで再生すると、夫がベッドから起き上がり、リビングに来た。午前中指定の荷物があるので掃除機をかけるのは一時的に控えたいと夫に伝えると、夫はキッチンとお風呂の水まわりを掃除し始めた。パイプユニッシュの待ち時間で今日の過ごし方について2人で作戦会議。そうこうしているうちに荷物が届く。食卓の夫と会話を続けながら、夫に背を向けてソファの上で荷解きをして、もともと買ってあった缶入りのチョコレートと一緒に手提げ袋に入れて、夫に手渡す。「ハッピーバレンタイン!早めの!」と言うと、夫も笑いながら「確かに早い」と言った。スキンケアのミニセットと、缶入りのチョコレートはどちらも夫に気に入られたようで、安堵した。

 12時。お昼は日清の焼きそば(おやつ感覚でおいしい)にすることになり、夫が調理。まだ凛として時雨が流れている。大盛りの焼きそばが出来上がり、日清の焼きそばは具なしで完成されている味だとか、もう次に食べる時のことを考えてしまうだとか言いながら食べているうちに、あっという間に完食した。シャムキャッツの夏目くんのソロの新曲を流すと、2人同時に「やっぱりこれいい」と言った。ベランダでたばこを吸う。わたしが洗い物をしていると、夫が御徒町の魚屋さんで鰻弁当を本日限定2,000円で売っていると言うので、歩いて行ってみるか悩む。悩む。悩み続けながら、chelmicoを聴いたりMVを観てあーだこーだ2人で話したりしているうちに、14時過ぎになった。外出は諦めて、2人で映画を一本観ることにした。羊たちの沈黙シリーズの4作目。

 17時。映画を観終わって、お風呂を沸かしているうちに、さっきまで観ていた映画の主演の俳優さんが亡くなっていることを知って、夫と2人で少しショックを受けた。そういえばと思い出して父に電話。Amazon musicのことを父に伝えたかったのだったが、父はそれについては「ふーん」といったところで、代わりに明日スマホの機種変をしようとしていることや、3月末の異動にかかる引っ越しについてなど、詳細に教えてくれた。3月のどこかの日曜日に夫と2人で実家に遊びに行く話を最後にして、電話は終わった。父はおしゃべりである。ベランダでたばこを吸いながら、そうだ!と思ってようすけくんに電話するも、出なかった。風呂に入る。

 18時。ようすけくんが前に望さんたちとやっていたバンドの音源を聴きながら入浴。実は明日夜には高円寺でようすけくんと望さんのバンドの3年ぶりのライブがある。わたしは諸事情で行かないことにしたのだが、本当はようすけくんには3年ぶりに会いたかった。お風呂の中でもろもろ終えて、お湯に浸かったタイミングでようすけくんから連絡あり、ようすけくんも出先で忙しかったようだが、3分ほど電話した。3年ぶりに会いたかったことなどもろもろを伝えると、ようすけくんはとにかくわたしの体調を心配してくれた。相変わらずいいやつだなあと思った。風呂を出る。

 19時半。望さんの去年出たソロ音源を聴きながら米を炊いたり冷凍マグロを解凍したりする。夫はふるさと納税の返礼品としてもらった日本酒を飲みたそうにしている。そして早くお夕飯を食べながらジョジョ3部のアニメを観たそうにしている。ということで、お夕飯の準備も整ったので、食べながらアニメをとりあえず1話観た。感想を言い合っているうちに、夫が飲んでいる日本酒の話になり、ふるさと納税の話になり、わたしの仕事の話になった。気づいたら21時半で、慌ててアニメをもう1話観る。観終わって、感想を言い合いながらわたしは洗い物を始めた。

 洗い物が終わる頃には夫は日本酒が効いてきて眠くなってきたようで、ベッドに向かった。夫はこの後ゲームをするのでわたしが寝る頃に起こして!と言う。ということで、わたしは寝る支度を始めた。歯を磨きながら、7年くらい前に望さんのお家でようすけくんを含むみんなで鍋をした日に、夜中の川沿いでみんなで酔っ払ったまま即興セッションをして、警察の人に声をかけられたところまで思い出していた。望さんが身分証明書を警察に普通に見せて普通に警察の人が帰っていったこと、セッションした時にはわたしはリコーダーを吹いていたこと、などを思い出したら、一瞬だけ涙が出そうになった。23時過ぎ、布団に入る。夫を起こすも、起きそうにない。諦めてわたしは寝ることにした。夫の寝顔を見て、やっぱり人間が好きだなあ、ということを考えながら。

9/5

 珍しく早朝に目が覚めてしまった。いつもなら寝ている時間だが、身体も覚醒し始めたようで、いつもよりお腹が減っている。昨晩眠りに落ちる直前、どうしようもなく幸せだと感じて泣きそうだったことを思い出しながら、喫煙している。このところはずっと欲しかったニットだとかずっと欲しかった本棚だとか、それらを得たことで物欲が満たされていて、かつ精神的に安定しつつ日々に満足できているのだけれど、昨日はそれらがピークに達して、結構本気で「もしかしてそろそろ死ぬのかな」なんて思ったくらいだ。少しだけ、今を失うのが怖い。一方で、こんなもんじゃない、もっともっとやれることがあるはず、自由になれるはず!とも思う。あたたかくやわらかな、でもどこかずしりとしたエネルギーが、わたしを満たしている。それらをしかるべきところに放出させたいような、大事に抱えておきたいような、その狭間でわたしはスキップしている。このままずっと、そんな日々が続けばいいのにな、と思う。続いていくよね、きっと。


 ありがとう。

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8/25

 他人の夢の話なんてあまり興味がないかもしれないが、今日はよく見る夢について書く。夢の中にしか存在しない路線があって、今朝はもれなくその夢を見た。武蔵野線京葉線のような位置関係をしていて、どちらもなんとなく似ているので、夢の中ではいつも乗り間違えてしまう。乗り間違えたと気づいた時には、反対方面の電車に乗って数駅引き返さなければならない。まさに武蔵野線京葉線のような路線だ。そのほかにも、夢の中にしか存在しないショッピングモールや小学校、遊園地などがある。どれも夢の中ではよく行く場所のようで、建物の構造や位置関係などについてなぜかきちんと理解できている。不思議なことに、布団の中で横になって睡眠が始まる直前のまどろみのなかでは、それらの場所の詳細について鮮明に思い出すことができる。ところが、よく見る夢に出てくる場所のなかに唯一現実にも存在するものがあって、それは高校生の頃に通っていた予備校の自習室なのだ。夢の内容はいつも同じで、受験勉強をひたすらにしているというものである。つらい夢だ。夫は寝ている時に見る夢については内容も覚えていられないし結構どうでもいいらしいのだが、わたしはそれなりに夢自体を楽しんでいるところがあるので、毎日寝るのが楽しみである。今日はなんとなく小学校の夢を見たい気分、叶うといいのだけれど。

8/23

 どんなに楽しい日も悲しい日でも、二十三時には眠くなるし朝八時には起きてしまうので、自律神経がめちゃめちゃ整っているのを実感する。今日は朝から夜までほとんど夢中でフジロックの配信を観ていたので、それなりに身体が疲れているようだ。色んなアーティストのライブを一度にたくさん観ると、なにかと発見があっておもしろい。中には活動歴数十年というキャリアの方もいて、それはもちろん現役バリバリの演奏で、なんだかわたしまで背筋が伸びる。音楽を続けること(しかも常に進化し続けながら)をしてくださって本当にありがとうございます、と心から思う。どうかこれからも。

 夫が仕事でレポートのような提案書のようなものを提出しなければならないということで、昼間はその作成作業を少し手伝った。夫は専門性の高い仕事をしているので、具体的なことはよく分からないのだが、文章を書くことを手伝うくらいならできそうだった。夫の頭の中に散らばっているものをヒアリングしながら箇条書きにしたあと、それらを整理しながら二人で文章に落とし込んでいく。その作業はまるで夫と一緒に仕事をしているようで、わたしにとってはとても嬉しく、楽しいものだった。夫がぽつりと「(わたしたちは)こうやって補い合って生きていくんだね」といったようなことを言って、そうだねえ、と返した。それぞれがある程度自立した夫婦だと思っているけれど、お互いに足りない部分を補い合うように生きているからこそ、お互いのことを必要だと思えるのではないかと思う。これからもそういう関係でいられたら。

8/21

 昨日のワクチン接種二回目から丸一日ほど経つ頃に、腕の痛み以外の副反応が出始めた。頭痛、関節痛、倦怠感、微熱といったところ。手足がポカポカと温かく、全身がふわふわして頭がぼんやりする感覚は久しぶりで、自分の身体が今ここにあることをじんわりと実感した。解熱鎮痛剤を飲んで数時間でその感覚も遠のいて、高めの平熱くらいに戻った。このまま熱が上がらないと良いのだけれど。と思ったらなぜか痰がからんで呼吸がしづらく、咳が止まらない。風邪薬を飲んでマヌカハニーののど飴を舐めると少し落ち着いた。身体は正直でめんどくさい。めんどくさくて手がかかるから、それなりに愛おしい。

 またしても夫がすぐ隣の部屋のソファで寝息を立てている。六連勤を何回か繰り返しているので結構疲れていそうだ。それに加えて、暑さとストレスで食欲があまりないらしいので心配である。心配することはできても、わたしにできることは限られている。夫のためになにができるだろうと考える。「ソファで寝たらあかんで、寝るならベッドで寝や」と声をかけたいところだが、あまりにも熟睡されているのでそれもためらってしまう。あと十五分したら声をかけよう、でもその前にわたしが寝てしまいそうだ、なんて思っているうちに夜は更けていく。

 明日には平熱になって体調が戻るといいな、今日作れなかった夕飯を明日はきちんと作りたいな、などと考えている。冷蔵庫の中の容量がパンパンだと料理をしたくなる。どんどん中の物を減らしたくなるのだ。じゃがいもが大量にあるので、なにかしらの方法で消費したい。やりたいことがあるのは精神的に健康な証拠だと思うので、自分で安心する。日常生活のひとつひとつのタスクは未来の自分(と夫)を大切にするためのものだと思っていて、そう思わないとなにもかもがどうでもよくなってしまいそうで怖い。安心したり怖がったり、自分で書いておきながら忙しいやつだなと思う。自分で自分がめんどくさくて、それなりに嫌いじゃない。また明日もこの身体をもってして、日常生活のひとつひとつを重ねていく。

 そろそろ夫を起こすことにする。

8/18

 たばこを吸おうとしてベランダに出たら、夕焼けがsuedeの一番新しいアルバムのジャケに似ていることに気づく。夏至を過ぎた八月末の夜七時はほとんど日が落ちて真っ暗だ。今年の夏はどこにも出かけられないまま終わりそうで、それはとても悲しい。結婚して約一年経つのに、新婚旅行も結婚式もその予定が立てられないままである。コロナは災害だけれど、人災でもあるように思える。わたしが政治に関心を持つようになったのは、恥ずかしながらコロナがきっかけだった。政治は自分の生活に直結している。今の自分の中にある怒りや悲しみを、次の選挙にぶつけたいと心から思う。

 今に始まったことではないのだが、夫とほとんど毎日一緒に過ごすなかで、わたしの教養のなさが突然露呈することがある。休日の朝に体を捻りながら勢いよく起き上がろうとして「かいせん!」と叫んだら、夫に「・・・旋回かな?」と言われたり、二人でマリオカートをしている時に「まだ取り返せる」と言ったら「巻き返せる、だね」と言われたり。漢字の読み間違いや言葉を勘違いして覚えていることが多いのだ。三歳の頃には「テレビ」のことを「テビレ」と言っていたそうだが、そう遠くない話な気がする。小さい頃からそれなりに本も読んできたのに、なんだか悔しい。悔しいが、これが法政大学卒の実力なのである。教養のあるスマートな大人になりたい、なりたいと思うことだけなら誰でもできる・・・。

 今日は料理をしたい欲求が高まっているので、夕飯はそこそこ品数を作る予定。たらのレモン蒸し、トマトの和え物、ナスの煮浸し、きゅうりの昆布茶漬け。明日はいよいよワクチン二回目の接種なので緊張している。冷やしたアイスノン、冷えピタ、経口補水液ウィダーゼリーなどは買い揃えてあるので、万が一の副反応への準備も万端である。とはいえ注射が本当に苦手なので、かなり気合いを入れないと会場に向かえない。注射への士気を高めていく次第である。ワクチン一回目の接種の前の日の夜には、一晩で注射を打つ夢を三回くらい見たので、今晩もまたその夢を見るかもしれない。もう今から気が重い。明日はがんばります。

8/16

 一ヶ月の食費をどうやったら最小限に抑えられるかについて考えている。夫と二人暮らしの食費は一ヶ月あたり五万円前後、多くても六万円いかないくらいである。毎日夕飯のメニューを考えるのがつらいことがあるので、たまに一週間分の決まった夕飯のメニューの食材宅配ができるサービスを利用している。揚げ物やグリルを使うメニューの時にはそのサービスは利用しない。最近初回特典に惹かれて生協に加入した。ざっと買えるものの目次に目を通したが、ものによってはそれなりに安そうだった。継続して利用するかは不明。どうしても今週は食費を抑えたいという時には、手抜きメニューを連続して発動させる。そうめん、パスタ、チャーハン、焼きそば、ざるうどん、といったように。そうしなくとも食費を抑えられるようになりたいのである。都内二人暮らしのみなさまの一ヶ月の食費の実態や、食費を最小限に抑えるテクニックなどがあったらものすごく知りたい。連絡ください。

 過保護な親のもとに育ったせいで新卒で一人暮らしを始めるまでまともに包丁も握ったことのなかったわたしだが、今では夫にお弁当を持たせて平日の夕飯は毎日なにかしら自炊するまでになっている。包丁も最初のうちは怖くて子ども用の刃先の丸い小さなもの(確か柄の部分にくまモンがついてた)を使っていたが、さすがに普通のものが使えるようになった。オール電化のお家で育ったのでIHコンロしか使ったことがなく、ガスコンロの使い方も微妙に分かっていなかったが、今住んでいるお家はもちろんガスコンロである。人は環境が変わればきちんとそれに順応できるようだ。それに対して、環境が変わっても自分が変わらなかったこともある。水回りの掃除は絶対にやりたくないし(夫様、いつも本当にありがとうございます・・・)、枕カバーやシーツを洗い替える頻度はそんなに高くないし、なによりずぼらなところはその度合いが年々高まっている気がする。でも、よく考えたら小さい頃は潔癖症で完璧主義なところがかなりあったので、どこかのタイミングで今のずぼらな感じに方向転換していたのだと思われる。二十八年生きているだけでこんなに変わるのだから、おばあちゃんになった自分がどんな感じなのかすごく楽しみである。何が変わっていて、何が変わっていないのだろうか。貪欲に長生きしたいと思う連休明けの午後だった。